- あせび温泉からあせび公園経由で龍王山 -
義経伝説ゆかりの大坂峠を歩く
今日は昼から雨の予報
近くの阿讃の山を歩くことにする。
 
あせび温泉に車を停めて出発
8時10分出発
あせび公園には以前、香川県の相生港から歩いたことがあるが徳島県側からは初めて。
3つのコースがあるようだが良く解らない。
とりあえず御番所に向かうことにする。
 
県道1号線(昔の国道22号線)を進む。
四国の道は県道の西側にあるらしい。
JRの鉄橋を潜って行く。
 
義経が鎧を脱いだとの謂われのある鎧橋を過ぎる。
 
「ひだりへんろちかみち」の石柱から左へと県道をはずれる。
 
線路に沿って進むと地蔵尊が祀られている。
 
この辺は中村郷らしい
石碑は古いがお地蔵さんは新しい。
 
また道は分かれて右に行くと阿波大宮駅
踏切を渡り左へと行く。
 
道ばたにはスミレが愛らしく咲いている。
線路の向こうに阿波大宮駅
 
参道の改修碑があるが寄付金は一人数十円
御番所へ1.1㎞の標識
 
あせび会館の前を四国の道の標識に従って進む
 
丘の上にプールまである立派な板野東小学校大坂分校がある。
小学校の隣には大宮神社
 
由緒ある神社らしい
63年に大改修が行われたようだ。
例祭宵宮も復活したと書いてあるが今も行われているのだろうか。
神社の裏山はシイの群落がある。
 
地神塔・庚申塔?もある。
 
大宮神社から降りて農道を行く。
ツツジが花を開き始めている。
立派な十楽寺。
 
ドンドン行くと高速道路下に出た。
道を間違えたようだ。
引き返してまた大宮神社の鳥居下を行く。
 
十楽寺の上の山道には古い石像が並んでいる。
 
この石像物は南海道の古道にあった清水庵跡から移されたらしい。

中でも自然石に地蔵尊を浮き彫りにした石碑は愛らしくまた珍しい。
「嘉永5年肥後天草郡御領村」と銘文が刻まれている。
****
阿波学会研究紀要 (阿讃峠みち)
与仁兵衛と娘オチヨ
大坂峠道にある清水庵に地蔵尊がおかれていた。そのいわれは次のとおりである。
肥後国天草郡御領村の村役人与仁兵衛にはオチヨという器量よしの一人娘があった。
この娘は生れながらに歩行が不自由であった。
与仁兵衛はあわれに思い、どうにかなおらないものかと悩んでいた。
与仁兵衛はオチヨをつれて四国巡礼に出た。
肥後から讃岐まで苦労してやってきて、大坂峠を越えようとやってきたのは、雪どけ後の3月の半ばすぎであった。
長旅の疲れをいやそうと、番所脇の中島屋という遍路宿で当分静養することにした。
話を聞いた宿の主人は、「地蔵尊を彫み祈願しなはれ、地蔵さまのご慈悲がおありになりましょう。」と言たので、与仁兵衛は喜んで地蔵尊造立に応ずることにした。
こうして与仁兵衛とオチヨが一番霊山寺をめざして下っていったのは、地蔵尊ができあがった半月後であった。
*****
また肥後国天草郡と言えば熊本県の天草半島
御番所のキリシタン取り締まりの踏み石との関連が感じられたりもする。
 
畑の中の道を行くと高徳線の特急がやってきた。
昔、高松に勤務していた時は良くこの汽車に乗ったものだ。
畑の中に案内板がありやっと位置関係が解る。
 
この道は古くは南海道、その後は讃岐街道として歴史があるだけに立派な供養塔?が多い。
 
道は何カ所か別れているが何処を通っても御番所跡に行くことが出来るようだ。

農道を行き止まると立派な家があり、その奥に讃岐街道の標識があった。
此処から旧の南海道があるが現在は道は消えているようだ。
大坂峠を越えて引田へ抜ける南海道は古くからある道で、屋島へ向う源義経もこの峠を越えていったと伝えられている。
当時の道は飛鳥時代の律令制により整備された道だ。
江戸時代までは讃岐街道と呼ばれ阿波と讃岐を結ぶ要衝として発達してきた。
明治時代になってからは急坂の多かった古道が改修により緩やかな道となり、国道22号線として認定されていた。
現在の四国の道がその国道(讃岐街道)だ。
現在の県道1号線は、旧の讃岐街道の東を抜けている。

讃岐街道の標識の直ぐ右に御番所跡がある。
キリシタンの踏み石のレプリカがある。

1585年から1869年まで旅人はみんなこの御番所を越えて行ったらしい。
 
御番所の右から峠に向かっていくと立派な農家の庭に入ってしまった。
親切なご主人に教えて戴いて畑から本来の四国の道へのショートカット道を行く。
 
四国の道は立派な石畳の道だ。
しばらく行くと立派な常夜灯がある。
 
「諸人水のみば」と刻まれた手洗い石と?の石積み跡がある。
此処が清水庵跡だろう。
清水庵は持つと上部の古道沿いにあったが、讃岐街道の往来が盛んになり明治8年此処に下ろされたらしい。
庵が無人となり、昭和57年に此処にあった石像物は先ほどの十楽寺の上に移された。
 
此処から左に入ると古道が残されているそうだ。
タチツボスミレが沢山咲いている。
 
やがて石畳の道が終わりコンクリートとなると車道に飛び出る。
 
車道はあせび公園に向かっているが、四国の道は車道を横切って続いている。
 
単調な疑似木の道を登るとまた車道に出る。
 
また疑似木の道となり車道に出ると鳴門市の標識
ここが大坂越えだろう。
 
また疑似木の道を登る
 
電力鉄塔に出る
 
右へと行くと県境の大坂峠へと下る分岐に着く。
左へと急坂が下っているが何処へ行くのかは解らない。
 
番外の観音像を過ぎると大坂峠展望台に着く。
10時11分
ウロウロしたのであせび温泉から丁度2時間掛かった。
 
安崎康子さんの「花馬酔木 あがた(県)をへだて いる峠」の石碑が建っている。
安崎康子さんは板野町の女流俳人で「るりたては」の句集を残されている。
この花馬酔木の句は、夫を南方戦線で亡くし愛息を不慮の事故で亡くし生涯孤独で生きた安崎康子さんの秀句だ。
 
展望所からは霞んでいるが、引田港や鳴門の折野港が見えている。
 
ピンクや白の馬酔木が満開
 
東屋で暖かいコーヒーで休憩してからあせび公園に向かう。
 
駐車場には一台も停まっていない。
麓から見える電波塔
 
馬酔木が丁度満開で美しい
 
展望所から更に登って行く
 
展望広場に着くがそのまま龍王山に向かう。
龍王山475m頂上着
10時49分
 
直ぐに引き返し展望広場で休憩。
先日歩いた高尾山から藍染山が目の前に見える。
 
アセビの花が山中に咲いていて鮮やかだ。
これからしばらく楽しむことが出来るだろう。
桜はまだ蕾が固い。
 
また大坂峠展望所の東屋に戻って昼食
しばらく休憩していると雨が降ってきた。
大降りにならない内にと下山開始
 
雨が降ると疑似木の階段は滑りやすい。
気をつけて下る。
「みぎへんろちか道」の石柱から右へと遍路道を下る。
雨がきつくなってきたのでレインを着用。
 
タチツボスミレの咲く石畳の道を下る。
 
讃岐街道の標識まで下ってきた。
標識から左奥へと登る道が旧の南海道で、右のコンクリート道が讃岐街道(四国の道)
 
お地蔵さんにお詣りしながら下って行く
雨も止んできたのでノンビリと歩く。
ミツマタの花が綺麗に咲いていた。

12時57分あせび温泉着
今日は、歴史の道を歩くことが出来て大満足。

総歩行距離13.6㎞
累計標高差 ±596m
所要時間 約4時間50分
里山倶楽部四国編
ホームページにも是非お立ち寄りください
|